■ 「宮崎から夜逃げ同然で大阪へ!まずは父の話から」
父は、宮崎県串間で10人兄弟姉妹の6番目として誕生しました。
幼いころから祖母に「きょでがぎょっさんおっとやかい(兄弟がたくさん居るので)、ちっとん財産もわたらんちゃかい、でくん弟子にいかなにゃ(少しの財産ももらえないので大工の弟子に行きなさい)。」
と言われ続け、中学校を出てからすぐに、大工の弟子になりました。
厳しい親方の下で年季が明けるまで勤めました。
そして、兄弟が家具屋を開業するにあたり、店を手伝うことになりました。
そこで母と知り合い、結婚。私が生まれました。

でも、商才が無かったため、しばらくして兄弟の家具店は倒産してしまいました。
父は、その借金を返すために大阪に出て行きました。
母と私の旅費や住む場所も無いため、父は単身で大阪に行きました。
そして3ヶ月ほどして旅費と住む場所が確保できたので私達も大阪へ行くこととなりました。
大阪へ旅立つ日、母の妹と祖母が見送りに来てくれました。
私は祖父が45歳のときに生まれました。それからずっと一緒に生活していました。
祖父は別れるのがつらくて、見送りには来てくれませんでした。
近所の人に見られないように、一駅前の駅から汽車に乗りました。
母の妹と祖母に別れを告げ、汽車が走り出します。
母の妹と祖母は泣きながら私達を見送ってくれました。
しばらくして、車窓から祖父が土木工事の作業員として働いている現場が遠くに見えました。
そこには、両手をいっぱいに広げて手を振る祖父の姿がありました。
時折、片手で目を拭いていました。
3歳の私は、大人の気持ちなど露知らず、既に都会の光景に目を奪われていました。
夜行の汽車が神戸に着く頃、窓から路面電車が見えたのです。
それまで路面電車なんて見たことのなかった私は、車中で大はしゃぎ。
「おっかさん(お母ちゃん)、あらなんかの(あれは何)?
おらあっがよか(僕はあれがいい)、あるこっくりゃんの(あれを買って)!!
おらあっがよか、あるこっくりゃんの!!」
母は、広島で観光バスガイドをしていたので、それまですましていたのですが、
汽車の中であまりに興奮して騒ぎまくる私に
「おとなしゅせんね(静かにしなさい)!!
おとなしゅせんとびんたはちまわすど(静かにしないと頭をたたくぞ)!!」
と一喝。
宮崎弁丸出しで叱る母に、周囲の人は大笑いだったそうです。(その頃から私は人を笑わすことがスキだったのかな)
投稿者 admin : 2005年5月27日 17:40
